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パルシステム静岡が設立された経緯について

以下の文書は、パルシステム連合会で2008年作成の「パルシステム産直 物語編」に掲載された内容を一部編集して掲載しています。パルシステム静岡の設立について書かれていますのでお読みください。

普通の組合員が新しいパルを立ち上げた

予約登録米の利用から、なんと、自分の住む場所でパルシステムを誕生させてしまった人物がいる。2007年に発足したパルシステム静岡の理事長(現在副理事長)・上田由紀だ。

神奈川他各地の新興住宅地で育った上田。子どもの頃は周りに田や畑もなく、虫やカエルも触れないような子どもだった。結婚してから夫とふたりで生活している頃は便利な都会生活を満喫し、食に対しても農に対しても特段の関心は無かったという。

上田の意識が食に向くようになったのは、初めての子どもがおなかにできた時。多くの女性が自然に思うように、上田のなかにも「子どものためにも私が安全な食べものを食べなければ」という気持ちが芽生え、初めて「食材」選びに意識が向かった。

夫の仕事の関係で住んでいた大阪で三つの生協に加入し、日々食糧のほとんどを生協でまかなうようになった上田が、その後転勤で東京に来てからも生協を探し、出会ったのがパルシステム(現パルシステム東京)だった。

「配達日の関係で他の生協も利用していたが、パルシステムはカタログの情報量がダントツ。単にものを売るだけでない、という姿勢がびんびん伝わってくる。環境に関しても農業に関してもごくふつうの関心しかなかった私のような人間が、カタログを読んでいるだけで知らず知らずのうちに感化され、すっかり環境派に変わってしまった」と上田は笑う。

「登録したら、産地のことがなんだか気になる」

ある日、上田が配送担当の職員に勧められたのが「予約登録米」。

「パルシステムのお米はどれも安全性や環境に配慮しているとは知っていましたが、なかでも特別にこだわって栽培されているお米だって配送の方に説明されて、それじゃ、申し込みますって」。早速、カタログで名前を知っていた「ささかみ」の米を登録した。

登録してみたら、ささかみのことがなんだか気になり始める。「どんな場所なんだろう。どんな人たちがお米を作っているんだろう」―。

ところが最初に申し込んだ田植えツアーは抽選に漏れ、行けずじまい。

「あれっー、そんなに人気があるんだって。それなら今度気合を入れてって」申し込んだ稲刈りツアーが、上田一家にとってのささかみ初体験だった。

帰りの電車で優先的にツアーに参加できる「ささかみ応援団」について知り、早速入会。冬の火祭り前泊ツアーには、夫は会社を、子どもは学校を休み、家族全員で参加した。

「一緒に参加したメンバーに、夜を通してこれまでのささかみとパルシステムとの交流の歴史をびっしりレクチャーされ、すっかり感動してしまった」さらに翌日は、30年近い交流を実質的に牽引してきたJAささかみの職員(当時)の石塚さんの自宅を訪ね、「思いっきり感化された」 交流に直接携わってきた人たちとの濃い出会いに加え、地元の小学生の話を聞き、上田はさらに心を動かされた。

「ささかみのお米が首都圏のパルシステムという生協に送られているということを小学生も知っていた。本当に地域ぐるみのお付き合いなんだぁって。思いが一つになるってすごいことなんだとわかった」

「パルシステムがないと困る!」

折しも上田家ではその頃、静岡への移住計画が持ち上がっていた。キャンプを通して静岡好きとなり、「定年後に住みたいね」と夢を語っていた夫妻だが、家族で訪れた富士山麓の田貫湖にある自然体験学校にすっかり魅了され、定年後の夢がいつしか「いますぐにでも」と前倒しされたという。

「のめり込んだら早いのがわが家の取り柄。来年あたりに…なんて言っていたのが、春休みに不動産屋を回ったら気にいった物件があって、5月に引っ越すことを決めてしまった」

ただ一つ問題があった。ささかみでの体験が重なって、さらに大好きになってしまっていたパルシステムが「静岡にない」ことだった。

5月のささかみ田植えツアーに参加した際、上田はツアーに同行していたパルシステム常務の山本(現パルシステム連合会理事長 パルシステム静岡理事長兼務)に訴えた。「パルシステムがないと困るんです!」

「それなら、静岡にパルシステムをつくれば…って。もともと生協っていうのは、地域住民の声で作られるものなんだからって背中を押され。ああ、そうか、と……」上田は決意を固めた。

設立手続きでもっとも大変だったのは、発起人を集めることだった。静岡で生協を作るためには発起人が20人必要だった。発起人は申請書に署名をして実印を押さなければいけない。名前も公表しなければいけない。気軽な気持ちで引き受けてもらえる役目ではない。

「まだ知り合いもいなかったので、家を探した不動産さんやマウンテンバイクを買った自転車屋さんとか、地縁のない土地でお願いして歩いた。相手がパルシステムのことを知っていれば説得もしやすいけれど、当時の静岡では、パルシステムはもちろん、生協って何?ってぐらい。しかも武器はカタログだけ。でもパルシステムが大好きだから、いつの間にか涙を流しながら訴え続けた」

「この私が変わったのだから…」

「パルシステムがなければやっていけないからだになっちゃって」と上田は冗談っぽく笑うが、もちろん静岡でも、栽培時方法や添加物にこだわった食材が手に入らないわけではない。

「私が食べたいだけなら、ここまで立ち上げに必死にならなかったかもしれないけれど、静岡の環境を守りたい、静岡を変えたい、って思った結果の行動だった」と屈託なく笑う。

興味深いのは、上田の組合員歴のなかに、いわゆる「組合員活動歴」がないことだ。ささかみに行くまで、他の産直産地を訪ねたこともないし、農業体験もまったくなかった。

「私なんて、環境ことも農業のことも本当に何も知らなかったし、興味もない普通の人間だった。それが、パルシステムと出会うことで少しずつ暮らしの中が変わり、考え方も行動も変わってきたのだ。最初からガチガチの環境派じゃない人が、パルシステムに関わることで少しずつ変わる、エコな生活に一歩踏み出す、そのことがすごい。この私が変わった。だから私は自信をもって、パルシステムを広めていきたいと思う」

小さな気づきを大きな変化につなげるしくみとは?

これからは、かつての上田のような、カタログを読むだけの「ごく普通の組合員」一人ひとりのなかに起こった小さな変化、気づきを大事にし、大きな変化につなげていく、というしくみづくりも産直運動には必要になってくるのだろう。

冒頭(※下記に記載)に紹介した辻信一さんは、とくに20代、30代の若い世代の志向がいま、食や農、手づくりといった方向に動き始めているのを感じる、と言う。

「彼らの生存本能が『いまの社会はもうぎりぎりだぞ』と、警鐘を鳴らしているのかもしれない」

彼らの問題意識の出発点は、「自分の暮らしを心地よいものにしたい」−

戦後から高度成長期を経て、前へ前へと突っ走る生き方を「是」とする時代が続いてきた。そのベースにあったのは、利益や富やモノの豊かさを幸せの指標とする「巨大な物語」。だが、その物語になんとなく共感できないものを感じ、別の物語を探そうとする人々が少しずつ増えてきた。

「巨大な物語」への違和感を体験した彼らは、「自分はどう生きたいか」を見つめ直す。そして、そのために何をしたらいいのか、何ができるのかを考え始める。

そうした一人ひとりの気づきの「点」をどう「線」に「面」に広げていくのか。パルシステムの産直の真価が問われるのはこれからだ。

環境キャンペーンなどの機会を通じて接点をもつ辻さんは、パルシステムに対し、こんなメッセージを送る。

「僕は『消費者』という呼び名は好きじゃない。誰でも『生活人』であって、消費するだけの人じゃないもの。パルシステムは、あえて言えば、『消費者』という枠を超えるためのパートナーかな。たとえば、食べものと人との切り離されてしまった関係を結び直したり、買うという行為のもつ社会を動かす力をよみがえらせたり・・・・・。僕らの手に文化を取り戻し新しい物語を創造していく。パルシステムの産直にはそれを実現する可能性が感じられる。僕はおおいに期待している」


※冒頭の内容

「食べる側」にできること〜組合員参画の仕組みづくり

明治学院大学の教授で環境NGO「ナマケモノ倶楽部」の代表を務める
辻信一さんが翻訳したエクアドルの民話がある。
「ハチドリのひとしずく」というその一遍には、
「一人ひとりにできることは限られているけれど、
それでも一人ひとりが自分にできることから
行動を始めることが大切だ」
というメッセージが込められている。
日本の農業はいま、海外との厳しい価格競争にさらされている。
後継者もないまま耕作放棄された土地も増え続け、
瀕死の状態にある現場も少なくない。
輸入穀物に飼料の大半をゆだねていた国内畜産は、いま、
その輸入穀物の急騰が生産コストを上昇させ、経営を圧迫している。
私たちの「いのち」をつなぐ食べ物。
それを生み出す仕事=農業の危機に対し、私たち消費者は何ができるか。
何をしたら、農業の窮状を救い、子や孫の世代まで
日本の農地や農業をつないでいくことができるか。
「食べる側」一人ひとりに
また、その集合体である生活協同組合に
できることは何なのだろうか。